小山田 那由他

1. 研究の背景と目的

経営にとって有用な創造性を設計しようとすることで、創造性そのものが平準化・形式化されてしまうというジレンマを、個人の美学的な探究——美戯物の制作、はどのように突破し得るのか?

近年の経営学において「創造性」は、競争優位やイノベーションの源泉として極めて重要な概念として位置づけられている。多くの企業が創造性を高めるためのフレームワークやプロセス、評価指標を整備し、組織的に創造性を促進しようと試みている。しかしその一方で、創造性を経営資源として設計・管理しようとするほどに、創造性は次第に平準化・形式化され、本来の鋭さや独自性を失っていくというジレンマが生じている。

このジレンマの根底には、創造性が本来、予測や制御になじまない性質をもつにもかかわらず、それを経営の論理の中で可視化・再現可能なものとして扱おうとする構造的な緊張関係がある。創造性を成果に結びつけるための制度化は、同時に創造性の源泉である個々人の感性や違和感、偶然性、逸脱といった要素を削ぎ落としてしまう。

こうした状況の中で、本研究は、創造性の突破口を「個人の美学的な探究」に見出す。個人が主観的な「よさ」や「違和感」に基づいて世界と向き合う営みは、経営的合理性や効率性から自由でありながら、新たな視点や問いを立ち上げる力をもっている。この美学的な関心の運動こそが、制度化された創造性の限界を乗り越えるための重要な起点となり得るのではないか。

本デザイン・リサーチは、創造性の制度化がもたらす平準化の問題を踏まえつつ、個人の美学的探究がどのようにして新たな問いと実践を生み出し、結果として組織や経営の創造性を再活性化し得るのかを明らかにすることを目的とする。

2. 創造性礼賛の問題構造

今日のビジネス社会では「創造性」がイノベーションの源泉として称賛されている。創造的であることは個人の能力の証明とされ、企業や国家の競争力の根幹と位置づけられている。

しかし同時に、私たちは問わなければならない――「創造性」は本当に自由で自律的な力として尊重されているのか、それとも、企業活動や資本の論理の中で、便利な資源として搾取されてはいないのか。私たち自身も、「創造性=企業の利益に資する生産活動」とする物語を半ば無批判に受け入れてしまってはいないだろうか。創造的な仕事に「やりがい」を見出す一方で、その情熱が適切に報われずやりがい搾取につながるという現象も現れている。創造性が企業文化の中で都合よく利用され、人々の自己犠牲を伴っていないか再考する必要がある。

この問題は、ビョン・チョル・ハンが『疲労社会』(2012)で明晰に指摘した構造と深く関係している。ハンは、現代社会がかつての「規律社会」から「自己啓発社会」へと移行し、従来の外部からの強制ではなく、個人が内面化した自己規律とポジティブ思考によって自らを搾取する構造に変化したと論じている。そこでは、主体はもはや「〜しなければならない」と外から命じられるのではなく、「私はできる」「私はもっと創造的になれる」と自発的に自分を追い込み、疲弊していく【ハン, 2012】。

この内面化された搾取の構造において、創造性は極めて都合の良い概念として機能する。創造性は本来、自由な遊びや想像、制度や常識からの逸脱を伴う営みであるはずだ。しかし、新自由主義的な競争社会では、創造性は成果やイノベーション、効率的な差別化のための「資本」として扱われる。創造性は労働の枠組みに巧妙に組み込まれ、評価指標や自己啓発プログラム、企業の理念の中に吸収されることで、その本来の逸脱性や自由を失い、むしろ企業にとっての「管理された資源」と化している。

つまり、今日の「創造性礼賛」は、単純な自由の拡張でも、人間性の解放でもなく、むしろ資本主義的価値観の巧妙な内面化を通じた、創造性の制度的な飼い慣らしと搾取の構造と不可分である。この問題を無批判に放置すれば、創造性はイノベーションや自己実現の名の下に、私たち自身が自らを追い込み、疲弊させていく道具として機能し続けることになるだろう。

3. 創造性とはなにか

そもそも「創造性」とは何か。その問いに明確に答えることは容易ではない。創造性そのものは捉えどころがなく、学術的にも未だ統一的な定義が定まらない概念である。実際、心理学・経営学・教育学・科学技術など多くの領域で創造性は議論の対象となっているが、定義や評価基準は研究分野ごとに大きく異なり、それぞれ固有の視点と方法によって研究されているのが現状である,。

例えば、創造性の理解を多角的に整理する試みとして、Amabile(1996)は「領域に関連する技能」「創造に関連する過程」「課題に対する動機づけ」の3要素の融合としてモデル化し、特に内発的動機づけの重要性を指摘した。また、Sternberg & Lubart(1999)は「知的能力」「知識」「思考スタイル」「パーソナリティ」「動機づけ」「環境」の6つの資源が適切に投資・融合されることで創造性が発揮されるとする「投資モデル」を提唱している,。このように、創造性は単一の能力ではなく、複合的な要因によって導かれるものであるという認識が広まっている。

定義に関しては、Mayer(1999)らが指摘するように、現代の研究者の間では創造性を「独創的(original)かつ有用な(useful)成果の創造」として捉えるアプローチが一定の支持を得ている。ここでは、単なる「新奇性(novelty)」だけでは不十分であり、状況に対する「適切さ(appropriateness)」や「有効性(effectiveness)」、さらには倫理性(ethicality)を兼ね備えている必要があるとされる。これは、思い込みや単なる奇抜さにすぎない「偽の創造性(pseudocreativity)」や、幻想にすぎない「準創造性(quasicreativity)」と区別するためである。

さらに、創造性の概念は文化的・社会的な文脈にも深く依存している。Raina(1999)や公文俊平(1994)が示唆するように、その社会が「包括・存続志向型」か「限定・発展志向型」かによって、創造性の発揮されやすさや評価は変化する。例えば、西欧ではキリスト教的伝統やロマンチシズムの影響から「無からの創造」や原理的なオリジナリティが重視される傾向にある一方、日本では具体的で便利なもの、すなわち「マーケットで売れるもの」を作ることが創造性とされる傾向があるとの指摘もある。また、産業・組織の文脈においては、創造性はしばしば「イノベーション(新しいことの実行)」と区別され、企業にとっての「価値(利益)」を生むかどうかが重要な要件となる,。

このように見ていくと、創造性とは、直観的には私たちが理解し語ることのできる概念でありながら、いざ学術的に厳密に定義しようとすると、個人の内的能力から社会的相互作用、さらには文明論的背景に至るまで、その輪郭が多層的に広がってしまう極めて複雑な概念であると言える。

4. デザインアプローチと創造性